続・憂国を気取ってみる

今日は、前のエントリで書いていた件で参考人招致が行われました。

例によって気合いで全文読んでみました。

 

このニュースでよく取り上げられている「日本が侵略国家だと言うのはいいがかり」の件は、ここで簡単に論じるのはあれなのでとりあえず置いておきますが、

田母神氏の考えの根底にあるものは、別に戦争したいとか、シナは危険だからこっちから仕掛けるくらいじゃなきゃとかそういったことではなく、

「戦争責任」と言う呪縛にこのまま永遠にしばられ続けるんですか?と。

ミサイル向けられても、領海侵犯されても、何も言えないような国でいいんですか?と。

そう言うことだと思うんですよね。

人と人が付き合う時、どちらかがどちらかに媚びへつらう姿勢ってどうですか?

国と国だって同じだと思います。

対等に付き合ってこその、本当の友好だと思います。

ことある毎に「戦争責任」と言う言葉でもって、何も言えなくなるような国になってしまっているからこそ、田母神氏のような人がもっと自衛隊にくらいいなければならないと僕は思います。

この「戦争責任」だって、戦争に勝った国から押しつけられた責任です。

仮に巣鴨での裁判に正当性があったとしても、戦争に責任があるのなら、勝った国に責任はないのでしょうか。

平和に対する罪、人道に対する罪などが負けた国にだけあるだなんて、それこそ言いがかりです。

戦争を正当化するわけではなく、「国際法」というきわめて大人の理論での話です。

 

とかそう言うことを就任演説で言ってくれる首相がいたらもっとまともな国になるのになとか思うけど、

どうせそんなこと言ったら、さも国民の意見みたいにしてマスコミが騒ぎますんでね。

そんなことは永遠に起きないと思いますが。

少なくとも、今回の件でシビリアンコントロールという便利な言葉をマスコミは手に入れてしまったな、と言うのが僕の感想です。

 

じゃ、有事の時、政治家の方々やマスコミの方々はどう守るんですか?と一連の報道を見ていて思いました。

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